韓国留学

【韓国留学】25歳で会社を辞め韓国に留学した理由とその後の私

私の韓国生活が始まったのは、2017年3月。韓国語を学ぶための語学留学でした。当時の私は満25歳。大学はとっくに卒業しており、就職した会社を辞めての韓国留学でした。

この記事では、私が会社を辞めて韓国に留学した理由と、留学後どう過ごしているかについてお話しします。

韓国語との出会い

私が初めて韓国に旅行に行ったのは、2012年、大学2年生のときでした。当時は超円高で大学生の間でも格安韓国旅行が流行っていたんです。

貧乏大学生だった私は、海外旅行や海外留学とは縁のない生活を送っていましたが「韓国なら行ける!」と思い、初の海外旅行で韓国に飛びました。

この時点ではあまりハマらなかったのですが、大学4年生で実家に戻り(それまで一人暮らし)母の影響で韓ドラを見始め、韓国語の響きに魅了されてから韓国という国に興味を持つようになっていきました。

それから頻繁に韓国旅行に行ったり、ドラマやアイドルにハマったり。でもやっぱり私がなにより興味をそそられたのは「韓国語」でした。

ハングルの読み方をかじり、その仕組みのおもしろさを知ってから(よくできてるんです)独学で韓国語を勉強するようになりました。

普通に大学を卒業し普通に企業に就職しましたが、趣味としての韓国旅行、韓国語学習は続いていきました。

会社でパワハラに遭った

私が就職したのは、小さな某化粧品会社。男性社員が少なく「ザ・女の職場」という感じでした。その年に入社したのは、私を含めて4人。研修期間をずっと一緒に過ごし、それなりに仲良く過ごせていました。

地獄が始まったのは、研修期間が終わり、部署に配属されてからのこと。

私以外の3人は同じ部署、私だけ違う部署(それも別のオフィス)に配属されたんです。同期と離れるのは寂しかったけど、希望していた部署への配属だったので、不安半分・嬉しさ半分という感じでした。

その部署は、チーム長を含め、チーム全員が20代女性という環境。妙に緊張感のあるチームの雰囲気に少し怯えていたのですが、隣の席だった中国人の先輩が優しくて、安心したのを覚えています。

右も左もわからない新入りの私は、格好のターゲットだったんだと思います。配属後、ある程度仕事を覚えてからすぐ、チーム長からの嫌がらせが始まりました(今思い出しても気分が悪いので割愛…)。

びっくりするようなことまでされましたが、初めての会社だったので「これが社会人生活…?」と思い、ただただ我慢の日々を送っていました。

当時はそのパワハラの延長で、残業・朝残・週末も家で仕事…と自分の時間も取れず、誰にも相談できずにいたのですが(仲良くなった中国人の先輩に愚痴ってなんとか耐えていました)後々このことを友達に話すと、みんな口を揃えて「パワハラじゃん!」と言うので、そこでようやく気付きました。

我慢の糸は、突然プツンと切れました。通勤バスに乗る直前に吐き気に襲われ、涙が溢れてきたんです。「もう無理だ」と思いました。

軽いうつ状態でした。ボロボロの心を休めるため、しばらく休職することに(すぐに辞めようとしたけど、たしか家族から止められて一旦休職)。

「逃げることにならない?負けていいの?」と、復帰を説得してくれる先輩もいましたが、退職する意志は変わりませんでした。プライドなんかよりも、自分の心を守るほうが大事だったからです。

そして結局、1年も経たずに退職することになりました。

休職期間中に韓国留学を決意

休職期間中に遊び回るわけにもいかず、そもそも心が疲れ果てていたし、ただただ家に引きこもって過ごす毎日でした。

そこで、数ヶ月間忙しくて手をつけられていなかった韓国語の勉強を再開することに。時間だけはたっぷりありましたからね。

久々の韓国語はやっぱり楽しく、どんどんのめり込んでいきました。そして中級レベルになった頃「もっと勉強して韓国語を極めたい」「いつか好きな韓国語を使った仕事をしたい」という思いが出てきたんです。

そしていろいろ調べていくうちに「韓国語学留学」というものがあることを知り、学生じゃなくても留学できるということを知り、私の中で「いつか韓国に留学する」という目標ができました。

実家暮らしで、会社を休職し引きこもる日々。家族も気を使って、特に干渉することなくいつも通り接してくれていましたが、それでも負い目を感じていたし、自分が情けなくて申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

だからこそ、無理に再就職してまたこんな姿を見せるくらいなら、自分のやりたいことをやって楽しく生きている姿を見せようと思ったんです。

2年間バイト漬けで資金集め

私は思い立ったら即行動派なので、すぐに一人暮らしを始め、バイトをかけもちして資金集めに入りました。

私は元々浪費家で、貯金なんてまともにしたこともありませんでした。でも、目標ができたことで貯金が楽しくなり(幸いバイトも問題なく続けられました)順調に資金が貯まっていきました。

韓国留学前にセブ島留学

新しい気持ちで留学生活を始めたかった私は、絶対に2017年春入学(3月)!と決めていました(語学留学の場合、春夏秋冬いつでも入学可能)。

準備期間を2年半と設定していたのですが、半年も早く目標額を達成できたので、韓国に行く前にセブ島に短期留学に行くことにしたんです。

まだまだ韓国語力にも自信がなかったため(知識的には中級ですが会話力は初級レベルだったので)最低限の英語力を身につけておきたかったし、海外生活の予行練習?にもなると思ったからです。

それと、今までの自分への労いの意味も込めて。笑

私が通った語学学校は日韓台の生徒がほとんどで、韓国人の子たちと仲良くなる中で私の会話力もぐんぐん伸びていきました。夫であるオッパと出会ったのも、このセブ島の語学学校でした。

毎日が刺激的で楽しくて、すごくいい時間を過ごしました。たったの3ヶ月でしたが、人生で一番濃い3ヶ月だったと言っても過言ではありません。

念願の韓国語学留学

そして予定通り始まった韓国語学留学!私が通ったのは「韓国の慶應」と呼ばれる、ソウルの名門「延世大学」…付属の語学堂です。笑

実は私、大学受験に失敗していて。行きたかった大学(マンモス校)に行けず、小さな私立大に入ったんですね。学費の高い延世大学を選んだのは、マンモス校への憧れを捨て切れていなかったからです。笑

延世大学の語学堂は規模が大きく、いろんな国籍の生徒がいます。親に留学させられた?感のある学生も多く、授業をサボりがちな子も…。

私の場合、自分で資金を貯めてようやく実現できた念願の!留学ですから、一瞬たりとも無駄にはできないわけです。毎日真剣に授業を受け、予習復習も欠かさず…。テストでもなかなかいい成績を収めることができました。

生徒はやっぱり若い子が多かったのですが、クラスメートはみんな「オンニ」「ヌナ」と慕ってくれて、休日にも会って遊ぶほど仲良くなりました。特に仲良くなった中国人の子たちとは、今でも連絡を取り合っています。

ワーホリでライター生活

半年間の語学留学のあと、しばらくは観光ビザで行ったり来たり。そしてワーホリビザを取得し、さらに1年間韓国に滞在することになりました。

ワーホリビザというのは観光目的のビザですが、観光のための資金を補うために国内でのバイトが許可されているんですね。

でも、私はバイトはせず、フリーのライターとして生計を立てていました。記事を書いていたのは主に、韓国情報サイトや旅行情報サイトです。

その他にも自分で個人サイトを立ち上げて運営したり(このブログの前身)クラウドワークなどで単発の翻訳の仕事をもらったりしていました。

留学資金として貯めていた貯金も少し残っていたし、オッパの家でお世話になっていたので、収入に波がある生活でしたがなんとかなっていました。

文章を書くのが好きなのでライターという仕事は割と自分に合っているような気はしましたが、せっかく勉強した韓国語をあまり生かせていないので、その点はやっぱりもったいないなと思っていました(もちろん韓国情報を発信する上で、少しは役に立っていましたが…)。

ワーホリ終了のタイミングで結婚

ワーホリが終わる頃には、オッパと付き合い始めて2年半が経っていました。それなりに続いたし、お互いに年齢も年齢だし、すでに一緒に住んでいたので、自然な流れで結婚に行き着きました。

そしてワーホリビザが切れるタイミングで結婚。結婚ビザを取得し、韓国での結婚生活が始まりました。

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結婚ビザで天職を得た

そして始まった新婚生活。結婚前から一緒に住んでいたので、新婚生活とはいっても、それまでとなんら変わりはありません。ただ!結婚ビザを手に入れたおかげで、私はついに天職に就くことができたんです。

韓国の結婚ビザは永住権の次くらいに強力なビザで、就労に制限がなく、韓国人と同じように就活・就職ができるんですね。

「韓国語を生かした仕事ができるかも!」と思い、求人サイトを検索。韓国語が使える&興味がある&在宅勤務の条件に当てはまる、オンライン日本語講師とウェブトゥーン翻訳の仕事に応募し、無事契約に至りました。

日本語講師の仕事は、日本語を学ぶいい機会になりました。「日本人だから余裕」と正直ナメていた過去の自分を叱りたいくらい、正しい日本語を外国人に教えるというのは難しかったです。

ただ、生徒さんからすればこっちはプロ。お金の無駄だったと思われないよう、私も「外国語」としての日本語を一から学び直しました。

日本語講師をやりながら身につけた日本語の知識は、翻訳の仕事にとても役に立ちました。正しい文法や敬語を使えるようになり、語彙が増え、表現の幅が広がり、翻訳会社にもその点を高く評価してもらえました。

日本語講師も学ぶことが多くあり、楽しく働けていたのですが、兼業が難しくなって辞めることになりました。2社の翻訳会社と契約しているのですが、ありがたいことに両社ともからコンスタントに仕事をもらえるようになり、思ったよりも早い段階で収入が安定してきたんです。

私は子供の頃から漫画が好きで、韓国語を学んでからは、暇さえあれば韓国のウェブトゥーンも読み漁るほどの漫画好きです。

大好きな漫画に携われて、韓国語が使えて、文章が書けて、学んだ日本語の知識を活かせて、職場環境で悩むことのないフリーランス!

取引先は2社とも実力や業績を評価し、単価に反映してくれています。取引先との信頼関係も築けて、なにも言うことはありません。なにより毎日仕事が楽しすぎて、天職に出会えたと思っています。

まとめ

日本の会社でパワハラに遭っていたときは本当に先が見えなくて、毎日どん底の中で生きているような気分でしたが、あのとき自分の気持ちを最優先し韓国留学を決意したことで、その後の人生が大きく変わりました。

「韓国に留学する」と言うと「なんのために?」とか「意味ない」とか「時間の無駄」とか…心ない言葉が返ってくることもありました。

でも、全然無駄なんかじゃなかったし、むしろ私の人生のターニングポイントとなった、意味ありまくりの時間でした。

りこりあ
りこりあ
これからも自分の気持ちに正直に生きようと思います!